管理人が今までに観た映画について、いろいろと勝手気ままに書き連ねるページです。
とにかくジャンルがかなり偏ってます。そして思い切りネタバレしてます。
鑑賞年月日も製作年も順不同です。とにかく思いついた順に書いていきます。
どこまで続けられるかわかりませんが、のろのろと増えていくと思います。
内容に関して、いろいろと文句やら反論やら沸いてくる方も多々おられるでしょうが、あくまでも個人の主観による感想なので、そのへんはスルーの方向でお願いします。
読んで気分が悪くなりそうだったら即逃げてください。そして悪くなっても責任は持てませんのであしからず(^_^;)
フィフスエレメント1997年公開 とにかく理屈抜きで観ないと突っ込みどころ満載の映画(笑) もうブルース・ウィリスの身体を張った相変わらずのアクションとミラ・ジョボビッチの可愛らしさと、ゲイリー・オールドマンの変な悪役っぷりと、クリス・タッカーの騒々しさを楽しむしかない。 この作品にはとにかく味のある人が一杯出ていて、特にイアン・ホルム演じるヘタレな神父がとても可愛い(^^♪ 昔々の予言を信じて、それを守ることに一生を費やす運命だったコーネリアス神父。まさか、自分の代でその予言が実現するとはもう気を失っても仕方がない。 いや、確かに悪の象徴が訪れるのがその年だってのはわかってたはずなんだが、まさか第五のエレメントが直に目の前に現れるとは思っちゃいなかったんだろう。 とにかくタイムリミットが近付く中、必死に四つのエレメントを回収する仕事にあたるコーベン・ダラス(ブルース)とリールー(ミラ)、それを阻止して悪の権化と手を結び世界征服を企む悪徳企業の社長ゾーグ(ゲイリー)。 もうなんと言うか、ひっちゃかめっちゃかな展開が楽しい。悪役なのに全然怖くないゾーグ。手先としてなんとか丸め込んだエイリアンがあまりにおバカで、結局自分が動かなきゃならなくなって、終いにゃ死んじゃう…哀れ(T_T) 四つの石を体内に埋め込んでいた歌姫もすごい。どうやって埋め込んだんだ…。 しかし、このオペラシーンはまさに一見(一聴?)の価値あり。 シンセを使った部分もあるらしいが、ほとんど人声で再現されていると言う歌は、前半オーソドックスなオペラから、一転してポップなリズムに変わり、それに合わせて音の弾むようなメロディが展開される。すごい、ほんとにすごい。エリック・セラ、はらしょー。そしてそれを歌った歌手の方にも大拍手。 なんとか四つの石を手に神殿に向かったものの、さあその石の使い方がわからないときた。 時間は刻一刻と迫っている。人類は助かるのか、続きはのちほどっ(をいっ) 神殿に向かう船の中でリールーが地球の歴史を学んでいるときに、次の言葉を選ぶ。 「W」そしてそれを頭文字にした「WAR」…つらいよ、どんどん戦争の悲惨な画像が目に飛び込んでくる。 サブリミナルのように次々と陰惨な画像がコンピューターのモニターに流れていく。 そして、最後に表示された原爆雲の画像。それを見てはらはらと涙を零すリールー。 人間はなんて愚かな存在なんだろう。どうしてお互い傷付け合い殺し合うんだろう。 そんなつまらない存在をどうして自分は助けなきゃならないんだろう。リールーには疑問でしかない。 そりゃそうだ。助けたって、きっと自ら首を絞めて自滅してしまうんだろうから。遅かれ早かれいなくなっちゃうだろう地球人を、どうして至高の存在である自分が助けてやらなきゃならないんだろう。 遺伝子に組み込まれた「地球人を救う」という記憶は、本当に正しいのだろうか。 それでもリールーは地球人に一縷の望みを託す。たった一つの言葉、気持ちを確かめる為に。 さて、神殿に辿り着き石をセットしてそれを起動しなきゃならなくなってやり方がわからない。 偶然、神父の弟子がきっかけを掴み、どうにか石は起動した。あとは最後のエレメントであるリールーの発動。 ところがリールーはここへくるまでに撃たれてぼろぼろになってて、意識もほとんどない。 自分の足で立つことなんて到底出来ないから、コーベンが抱きかかえてなんとか所定の場所に立たせる。 人類を救う為にリールーの発動を促すものの、リールーにはそのスイッチが入らない。 何故ならリールーには発動の為の大事なキーが欠けているから。 コーベンはいつもクールぶってて、自分の気持ちに正直になれずにいた。 まして、本気で人を愛するなんて自分らしくないと、はなから思ってる。 でも、リールーに対してだけはごまかしようもなく愛情を抱いてる。 そしてリールーに問われる…たった一つの言葉、気持ち、キーを。 「わたしは愛を知らない」そう言ったリールーにコーベンはそれまでの恥もてらいも捨てて囁く。「愛してる」と。 その言葉と同時にリールーは発動し、悪の根源を死滅に追いやる。 残り時間はたったの数秒。人類は救われました。よかったよかった(^^♪ でも、リールーの発動を待つ前に、どうしてその前の段階で相手をやっつけられなかったのかなと疑問に思ったり。 リールーの製作者であるモンドシャワンは、わざわざ地球に危機が訪れるのを知っていて、それを待っていた。 地球にそれが来る前に、別の場所でもやっつけるチャンスはいくらでもあったんじゃないのか。 ああ、考えちゃいけない。いけないんだ〜。 この作品のテーマは「愛」 それに尽きるのです。 ついでに吹き替えについて とにかく始めの頃のモンドシャワン語をしゃべるリールーの吹き替えがすごい。 とてつもない早口で、架空の言語をしゃべりまくる。これって適当じゃないよな。ちゃんと台本にあるんだよな。 …すげーよ、梨香姉(^_^;) |
ブレードランナー1982年公開 1992年(ディレクターズカット) インディ・ジョーンズシリーズの合間にハリソン・フォードが主演した作品。 SFのまさに金字塔とも呼べるこの作品はSFファンなら一度は観たことがあるはず。って言うか、観てなきゃSFファンじゃないだろーとわたしは思うね。暴言ですか? わたしにとってこの作品はバイブルです。原作まで読んだ数少ないSF作品です。 原作の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」というタイトルのアンドロイドはレプリカント、そして電気羊がユニコーンを意味しているわけですね。まあ、そんなことは言わなくてもわかると思いますが(^_^;) なんと言っても、この世界観の再現はすごい。いまだかつてSF世界にこんな情景を想像した人はいないはず。 東洋の間違いまくった解釈が、逆に混沌としたイメージをうまく表現していて、国籍不明な未来世界を現実味のあるものにしている。 まあ、ちょっとやりすぎな部分もあって、日本人としては笑っちゃうところもあるんだけどね。 時代は2019年…ってあなた、2007年現在で言うとたった12年後ですよっ。過去20年の技術進歩を考えるに、あと12年でレプリカント作る技術もシド・ミードがデザインしたような空飛ぶ車も到底作れやしないとわかりますけど、この発想自体はすごいなと。世界が日本や中国などのアジアに席巻されるんではないかという、微かな恐怖心すら製作者の中に感じられる。 一年中雨が降ってて、時には雪になるくらい寒々とした背景。到底季節限定って雰囲気では無いね。雑多な民族が生活していそうで、実は東洋人ばっかりの町。なのにビルはどこかゴシックな雰囲気を残していて、しかもほとんど無人。そのギャップがやっぱり東洋に押しやられた西洋の衰退を感じさせる。 それまでハン・ソロとかインディをやっていたハリソンが、まるで雰囲気の違う役をやっているのも新鮮。 口数が少なく、どこか影があって世を拗ねたようなデッカードを実に味わいのある人間として演じている。 そして、キーパーソンの一人である、新型レプリカントのレイチェルを演じたショーン・ヤング。体温を感じさせない人形のような美しさに溜息が出る。 もう一人のキーパーソンをルトガー・ハウアーという、もうこれ以上の適役はないと思われる役者が演じている。 ルトガーもどこか人間離れしたルックス(コラっ)と言うか、表情をする役者なので、レプリカントという限り無く人間に近い人間ではない者を演じるのに最適。 レプリカントを見極める能力が備わっているデッカードを、同じくレプリカントと見る向きが随分とあるらしい。 確かにそう思える部分がニュアンス的に散りばめられてはいるが、わたしとしてはデッカードは人間だと思いたい。 そうでないと、デッカードにも四年しか生きられないという運命が決められているわけで、いつ作られたのかわからないけれど、レイチェルより先に死んでしまうんじゃないかと、ちっともハッピーエンドじゃなくなってしまうのだ。 第一、すでにブレード・ランナーとしての仕事を辞めてしばらく経っているようだし、警察の上司もデッカードの過去を知ってる。ってことは、寿命が四年っつーのは有り得ないわけだ。 まあ、ハッピーエンドを期待して観たとして、デッカードが先に死んじゃって「おやまあ、実はやっぱりレプリカントだったんだ」ってことがそのときになってわかるわけですが、それは二人のその後を映画で描いていないので、誰にもわからないわけで、どうにもなりませんな(^_^;) 監督自ら「デッカードはレプリカント」と言っちゃったらしいが、それを前提にしたストーリーとするにはいささか無理があるような。 周りがそうじゃないのかと取り沙汰するようになって、仕方なく周りの意見に合わせちゃったような気がするのは、わたしのうがった考え方だろうか。 まあ、デッカードもレプリカントだったとしよう。 そのほうが作中に出てくる謎とか疑問を解くのに楽だから。 特にユニコーンの夢の部分とか、やたら家族の写真を飾って自分を納得させようとしている部分とか。 ユニコーンの夢については、確か原作でそれが語られていた気がする。でも、映画の中ではそれについて触れてないよね。 だから、ラストでガフがドアの前にユニコーンの折り紙を置いていたのが謎になる。 あくまでも偶然の産物だったんだろうと考えられるし、それまでもガフはいろんな場所で折り紙を折っているから、デッカードの部屋にレイチェルがいても「どうせ短い命だし」とわざと見逃した可能性がある。もしかしたら、寝ていたレイチェルを見て、すでに死んじゃってると思ったのかもしれない。 このラストのガフの折ったユニコーンの折り紙とそれ以前に出てきたデッカードのユニコーンの夢に、レプリカントという共通のキーワードを嵌めようとして、みんな「デッカードもレプリカントだったのか」と思い込んじゃうわけだ。 でも、これってこじつけと考えても変じゃない。わざとそういうキーワードを匂わせただけで、見る側を翻弄させる意図があるんじゃないかと。ひねくれてるかなぁ(^_^;) まあ、こうした見る人によって解釈が分かれて交錯する映画っていうのも珍しいと言うか、貴重なんじゃないだろうか。 とにかく、この映画は暗い。そして地味。曲もちょっとオリエンタルな雰囲気だったり、アダルティだったりして、ワクワクドキドキするような曲はまったく無い。メインテーマですらほんの少しサイバーな音を入れているとは言ってもかなり地味。 SFっていうのがこんなに地味な映画だとは、誰が想像できただろう。 特に「スターウォーズ」みたいな派手なSF映画が公開された後ともなれば、そのギャップはすさまじい。 おかげで、興行不振のあまり劇場公開が早々に打ち切られたという苦い過去を持っている。わたしも行きそびれた一人。 「スターウォーズ」はあまりに前評判がでか過ぎて、劇場に行く気が失せてしまったんだけど、この映画は劇場で観る気満々だった。 なのに気付いたら終わってた…そりゃねーぜ(T_T) まあ、その後リバイバル上映したときは当然行きましたがね。 で、ラストシーンに愕然となったわけですよ。なんなの、この取って付けたようなハッピーエンドシーンっ。 納得いかなーい。絶対へーん。 と、思ってたら、やっぱり監督もこれは不承不承だったらしい。マーケットを意識して配給元に妥協して、仕方なくくっつけたシーンだって言うからそりゃ変なわけだ。 その後、完全版なるものが出来上がってきたわけだが、これはちょっと見る気がなかった。だって、社長の目、潰しちゃうのよ?ぐっちゅ〜って、指突っ込んじゃうのよ?ここまでえぐいシーンは必要ないでしょう…(^_^;) そんなわけで、これは観ずに終わりましたが、さあいよいよディレクターズカットが出ちゃいましたよっ\(^o^)/ もう、最高〜っ、これよこれが観たかったのよっ! 最初に劇場公開された作品でカットされていた部分もしっかり復活して、まさに納得のいく仕上がり。 特に「ユニコーンの夢」の部分が劇場公開版では確かカットされてて、ラストのガフの折り紙と全然繋がらなくて、訳が判らなかった記憶がある。 それがディレクターズカット版でしっかり復活していて、暗示するものの意味がようやくわかった気がした。 でも、そのおかげでますます「デッカードもレプリカントだったのでは」という疑問が、観た人の中に沸々と沸いちゃったのも事実。 どういう解釈をしてもそれは観る人の自由だから、周りがどうこう言う問題じゃないんだけどね。 劇場公開版でラストにいかにもハッピーエンドですっていうシーンを持ってきていたにも拘らず、何故かもやもやとした感覚が残っていたのは、やっぱりデッカードがレプリカントだったのかどうかっていう疑問がずっと残っていたからに違いないんだなと。 ディレクターズカットで、ラストがさらに不透明になったことで余計不安感が募るのはいかんともしがたいことですな。 それを抜きにしても、とにかくこの映画は革新的だったと誰もが認めると思う。 そして、この映画の名作たる所以はラストのロイのシーンに尽きると思う。彼のセリフは今聞いても泣ける。 レプリカントの中でも特に優秀だったロイ。 運動能力も高く頭脳も明晰で、それなのにレプリカントという運命から逃れられないロイ。 たった四年しか生きられない宿命の中で、人間には考えられないことを考え、見ることのできないものを見てきたロイ。 彼はどんな人間よりも崇高な存在だったんじゃないだろうか。 だから最後にちっぽけな存在であるデッカードの命を救ってみた。そう、人間が気紛れに、いつもは潰してしまう虫を生かしたように。 感情や命の大切さなど考えないと思われたレプリカントの、些細な気紛れがデッカードを救い生かしたこの皮肉。 死に行くロイの言葉をただ呆然と聞いていたデッカードの表情は、人間らしい卑小さと怯えを孕んでいた。 もしかしたら人間のくせにレプリカントより感情の機微に疎くなっていた自分を蔑むことになったかもしれない。 そして、レイチェルというレプリカントらしからぬ存在を愛してしまったことが、デッカードの運命を根底から変えていたのかもしれない。 もし同じレプリカントだったなら、どうして同じレプリカントなのに自分はこんなにも違ってしまったのだろうかと、デッカードは考えたかもしれない。 命尽きるその瞬間、ロイの手から羽ばたいていく鳩は、ロイの崇高な魂を表現しているように思えてならない。 いろいろ考えるところはたくさんあるけれど、とにかくこの映画は最高なのです(T_T) |
インディ・ジョーンズ/最後の聖戦1989年公開 シリーズの中ではこの作品が一番好き。 なんと言っても父親役のショーン・コネリーが最高。 そして、プロローグとして登場するのが、今は亡きリバー・フェニックス。ハンサムだよねー、この人。天才と言われた役者だったが故に、早逝してしまったのは非常に残念(T_T) このエピソードでインディが何故蛇嫌いになったのかが明かされます。こんな理由で?って感じでもあるが、ここであの大事な帽子と鞭の逸話も明かされる。なるほど、そうきたか(笑) この場面の繋ぎ方がいいんだよねー。被された帽子の顔が上がると少年だったインディが大人になったインディの顔に…この展開はその後の映画でも使われる手法になりましたが、この映画以上の使われ方はしていないと思う。 「パイレーツ・オブ・カリビアン」でのエリザベスの夢起きシーンしかり、「ナショナル・トレジャー」でのゲイツの子供時代から大人時代への転換しかり。って、どれもディズニーだよ…(^_^;)芸がねえな。 と言うより、オマージュ的な使われ方と見たほうがいいんだろうか、うーん。 この作品で重点になるのがインディと父親の確執。そして少しずつ理解しあって最後に和解するまでの親子の絆。 そして、一作目でいい味出してたマーカスとサラーが再び登場。ヤッホーっ\(^o^)/ ますますすっとぼけぶりに磨きがかかったマーカスがもう最高。癒されるわ〜。 この作品のヒロインはオーストリア美人のアリソン・ドゥーティー(エルザ・シュナイダー博士)。美人です。いかにもなインテリらしい色気です。こういう人好きです(笑) そして、この美人を巡って、なんと親子どんぶりしちゃったらしいです、ジョーンズ親子。大きなお友だち向けのエピソードね。 今回の「わんさかシリーズ」は鼠。まったく、よくやるわ…(^_^;) 嫌いな人は顔を覆って、指の間から見るしかないよな…。わたしは平気だけど。 パパジョーンズがドイツ軍に拉致されたのを助ける為に、インディはマーカスと共にオーストリアから侵入。途中でマーカスも攫われて、パパの手帳も盗まれてさあ大変。 今回の獲物は「キリストの聖杯」ということで、またドイツとアメリカの競い合いです。しかも今回、ヒットラー出てきちゃいます。わあ、びっくり。しかも似てる。ほんの数分の出演なんだけど、よく探してきたなぁ。 インディが敵陣に乗り込み、あわあわしてる間にヒットラーの前に押し出されて、パパの手帳にヒットラーがサインしちゃうとこなんて、かなりドキドキします。 手帳の中身がばれたらそりゃもう大変なことになるんですから。でも、いかにも忙しいヒットラーらしい。何に書くかなんて関心ありません。出されれば書く。それだけ。よかったね、インディ(^_^;) そして、舞台はぺトラ遺跡へ。 世界遺産にもなっているぺトラ遺跡を使うとは、なんとも豪気なことではありませんか。まあ、入り口部分だけしか実際は使ってませんけど。 中ではまたトラップが待ち構えている。しかも、パパは撃たれて瀕死の状態。息子ががんばらないとパパは死んじゃいます。 ヒントはパパがインディに伝えてあります。パパにも詳しくはわかっていませんが、息子は言葉の中に意味を探し出し、無事にトラップを抜け聖杯の守られている部屋へ。息子が頭脳明晰でよかったね、パパ。 十字軍の騎士である伝説の三兄弟の一人が聖杯を守っています。もうよぼよぼです。自分の後をインディが継いでくれると喜びますが、インディにそんな気はありません。それより早く正しい聖杯を選んでパパに奇跡の水を飲ませないと死んじゃいます。 インディが無事に聖杯の部屋に入ったことを確認して、ドイツ将校とエルザも到着。 将校は功を焦ったか、自分が先に水を飲むと言い出します。普通なら先にインディに飲ませると思うんですが? だって失敗したら命がないんですよ。ちょっと、と言うかかなり迂闊です(^_^;) しかも、エルザが選んだ聖杯は間違ってたというオチ。おい、お前それでも学者かーっ。 結局、将校は見る見る干からびて灰になります。 さあ、インディは考えます。正しい聖杯はどれだ。 そして、ここでも深い洞察力を発揮して正しい聖杯を選び出します。さすがだ、インディ(^^♪ 大急ぎでパパの元に戻り、水を飲ませます。おお、神よ、奇跡は起きました。 だがしかし、愚かなエルザは聖杯を遺跡から持ち出そうとして、神の怒りに触れてしまいます。 遺跡の内部が崩れ始め、床が割れ、聖杯がそこに落ちてしまいます。 自分も割れ目に落ちて、あわやと言うときにインディが助けの手を伸ばすのですが、エルザは目の前の聖杯にとり付かれインディの手から離れてしまい命を落としてしまいます。 さて、聖杯はまだそこにあります。 ぼやぼやしてるとみんな生き埋めになっちゃうっていうのに、今度はインディが足を踏み外して割れ目に。 それを助けようとパパが手を伸ばします。目の前には聖杯。 エルザの二の舞になりそうなインディの執着。 パパはそこで息子の名を呼びます。それまでジュニアとしか呼ばずに、インディにさんざん嫌がられていたのに、ここへきて初めて「インディ」と。 そのひと言に我に返ったインディは、聖杯を諦めパパの手を取り、無事に遺跡から脱出。やれやれです(^_^;) 親子の絆を取り戻し、インディは父親に対するわだかまりを捨てました。 結局インディの子供っぽい我侭だったのかもしれません。父親に愛してもらえなかったという、子供の頃からの寂しさが父親に対する偏見に繋がってしまったんだと。 で、インディってのは飼っていた犬の名前だったことも判明。息子よ、いいのかそれで。 シリーズの最後の余韻をたっぷり堪能しつつ作品は幕を閉じます。 …が、この親子、奇跡の水を飲んでますが。 遺跡を出たら効き目はなくなっちゃうんですか?聖杯と共にないと効果がないなら、パパはすぐ死んでしまうはず。でも、ぴんぴんしてます。 一旦元気になったから、もうそれで傷が戻ることはないわけですか?じゃあインディは?無傷で水飲んでます。あの聖杯で水を飲んだら不死になるって言われてたんじゃないんですか? それが遺跡の中でだけ有効なら、聖杯になんの意味があるんでしょうか? 結局、奇跡は持ち出されることあたわずと、そういうことなんですかね。 そうじゃないと、あの親子、二人して不死の奇跡の恩恵を授かったことになっちゃいます。それはそれですごいと思うけど、やっぱり無理があるのかなぁ。 実に2007年、シリーズの続編が作られることが発表されました。 えー、やめときなよー、というのが正直な感想。 だって、ハリソン、もう60過ぎよ?いくら体力自慢の役者とは言え、インディのアクションをまた繰り広げなくちゃならんのよ? シルベスタ・スタローンにせよブルース・ウィリスにせよ、どうしてこう今さら老体に鞭打ってがんばろうとか思っちゃうかなあ(^_^;) 観てて辛くなるような出来にだけはならないでほしいと願うばかりです。 ついでに、吹き替えについて。 ハリソン・フォードの吹き替えはスターウォーズシリーズの頃からいろいろ変化してますが、わたし的には村井国夫さんがベストです。 本来の学者としてのインテリジェンス溢れる部分も、冒険家としての荒っぽい部分も、そして子供っぽかったり決断力のある男っぽい部分とか、様々な感情表現が村井さんの声だとばっちりハマる。役者としても一流だけど、声だけでこれだけ存在感のある人も貴重です。 役者としてうまくても、吹き替えとなるとどうにも…って人が多い中、村井さんにはぜひハリソンの声を続けていってほしいです。 |
インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説1984年公開 さて、シリーズの二作目はますますドタバタ加減に輪をかけた、上海からインドまでの大冒険。 共演の女優はスピルバーグの奥さんにもなったケイト・キャプショー(ウィリー)。子役として「グーニーズ」でもやかましかったキー・ホイ・クァン(ショート・ラウンド)。 とにかく全編通してやかましい(笑) ウィリーはチャイニーズマフィアのお気に入りの歌姫だった立場から一転、インディのはちゃめちゃな冒険に付き合わされることになり始終ぶーたれっぱなし。ショート・ラウンドはインディと曰くつきの関係で、自分をインディの親友と思いこんでる。インディもまあそんなショート・ラウンドに助けられてたりするので、子供ながらに活躍する。 ジェットコースター・ムービーを決定付けたトロッコシーンは有名。 ウィリーとインディの大人の駆け引きがちょっと大きなお友だち向け(笑) そして今回の「わんさかシリーズ」は虫。 わたし、蛇はいいけど虫は嫌だな(^_^;)蛇も毒蛇は嫌だけど虫は毒がなかろうとなんだろうと、あれだけ出てくるとかなり嫌。一匹二匹なら我慢もしよう。でも、あの数は…ケイトもかなりしんどかったらしい。まあ、そのがんばりのおかげでスピルバーグの愛を射止めたんだから、よかったんじゃないの?(笑) ストーリーはまあ、邪教集団に攫われた村の子供の救出と、そこで心を操られてしまったインディとショート・ラウンドの友情物語が中心。 ウィリーが檻に入れられて火口に下ろされるシーンでは「絶対そこまで行ってたら死んでますっ」ってくらい不自然ではありましたが、まあ映画だし目を瞑ろう。この映画に「ありえねぇ」はありえねぇのだ。 内容についてあんまり語るところはないんだが、とにかく今回もいろんなトラップが出てきて面白い。よく考えるよなーと、感心してしまう。 展開が速くてあっという間に終わってしまう感覚。でも、登場人物のにぎやかさのせいで、やっぱり観終わったあとはぐったりする。 たまに観るには楽しめるけど、気力のあるときじゃないと辛いかな…(^_^;) |
レイダース/失われたアーク《聖櫃》1981年公開 スターウォーズで一躍人気になった(のかどうかわからない)ハリソン・フォード主演の冒険活劇。 好きだなーこういうノリ(笑) 考古学をベースに実はそんなの単なるダシに過ぎない内容は、いわゆるアメリカとドイツの権力争いをオブラートに包んだ「戦争でも勝てなかったドイツにアメリカが負けるわけないじゃーん」っていう、自己顕示欲の表れみたいなもん。 舞台は第二次大戦前なんで、そんなことはまるっきり臆面にも出てないけど、言いたいことはそんなこと。 でも、楽しきゃいいんだよ結局さ。 古代文明がどれほど優れていたかわからんけど、これでもかといろんなトラップが出てくる出てくる(笑) そんな仕組み、どうやったら作れるのさと突っ込みたいのは山々だが、それは言いっこなし。 ヒットラーが世界征服を目論む時代に、それを阻止する為にインディが一役買ってたというちょっとしたエピソードみたいなもんなんだけど、やっぱりハリソン・フォードはかっこいい。スターウォーズでハン・ソロに惚れたわたしとしては、もう主役として生き生きと演じるハリソンに釘付け(^^♪ 共演の女優、カレン・アレン(マリオン)はなかなか華奢できつい感じがグー。色気がまるっきり感じられないのが、逆に新鮮でいい。変にラブロマンス的なものを匂わせるのは、アドベンチャーを純粋に見る上で邪魔になると思うからね。そういうのを期待して観る人には物足りなかったかもしれないけど。 でも、作中では一応昔恋人同士だったらしい…インディ、どういう好みしてんだか。 もうね、ここに出てくるフランス考古学者のベロック、いい男(笑) ドイツに加担してなきゃ、さぞインディといい意味で競い合えただろう優秀な学者さん。頭いいしハンサムだし、何気に優しいし。 そして、インディの友人であり教授仲間のマーカス。今は亡きイギリスの名優、デンホルム・エリオットが演じてます。 この人の飄々としたすっとぼけた演技がたまらなく好きです。 サラー役のジョン・リス・デイヴィス。この人を「ロード・オブ・ザ・リング」でまた観ることになろうとは思いませんでしたよ。 とにかく、脇役のしっかりした演技に支えられてインディは活躍できたと思えます。 オープニングでちょこっとしか出てないアルフレッド・モリーナ。この人結構いろんな映画に出てるんですよね。すごく印象に残る役者さんです。この映画がデビュー作だとか。 そして、ドイツ軍から派遣されたトートの不気味なこと。全然ハンサムじゃないし、小太りでいつもだらだら汗かいてて「やな奴」を体現したような人(^_^;)絶対傍に寄りたくない。 聖櫃の奪い合いが焦点なんですが、その合間にマリオンの誘拐やら彼女のベロックとの飲み比べやらが挿入。始めの頃にマリオンがネパールの店で村人と飲み比べして勝つくらい「ざる」だってのが、ここで生きてきます。 そして、このシリーズで恒例になる「わんさか出てくる生き物シリーズ」(笑) 第一作は「蛇」 これ、嫌いな人はたまらんだろな〜(^_^;) 役者さんもよく耐えたよね。蛇が山ほどてんこ盛りで出てくる状況に、怖いもの知らずと思われたインディが震え上がるのは、続編で明らかになるんですがここでは割愛。 ラストはとにかく「それってどーなの?」っていう展開で、聖櫃を開けるとヤバイっていうのはわかるけど、わかるけど…うーん(^_^;) もうちょっと宗教的に考えるとかできなかったのかなあと。いや、パンドラの箱的な考えなんだとしたら、ああいう表現もありなのかと無理やり納得はしますけど…しなきゃやってらんねぇ。 結局聖櫃はアメリカ軍のどこかの基地の倉庫の奥深くにしまい込まれて、その後どうなったか誰も知りません、というオチなのですね。 ミステリアス…っていうのとはちょっと違うけど、しまい込んだらもう知らないよ、っていうアメリカらしさが実は皮肉たっぷりに表現されているのかなと。 |
スターウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還(公開時 ジェダイの復讐)1983年公開 1997年(特別編) いよいよシリーズ完結(当時はね) 泣いても笑ってもこれで最後かと思うと、もう心の底から楽しまなきゃという思いで一杯。(だから当時は) カーボナイトされちゃったハン・ソロの救出と、帝国軍の基地の殲滅に一致団結する人間とイウォークたち。 いやまあ、イウォークたちは自分たちの星(森)が荒らされるのを良しとしないって程度のことだったのかもしれないけど、それでも小さい身体なりにがんばりました。見かけによらず、弓作ったり罠作ったりと結構器用(笑) 爆撃で仲間を失ったイウォークの一人がすごくかわいそうで、うるうるしましたよ。言葉がわからないながらも、その表情とか声で悲しみが伝わってくる…さぞ仲がよかったんだろうに…(T_T) 前二作に輪をかけたSFXに目が回るかと思うような展開。 無事にハン・ソロを救い出し、帝国軍の援護基地の破壊に成功し、第二デス・スターの破壊に成功。 このときにEP4のやりとりが復活。ハン・ソロの「愛してる」にレイアが「知ってたわ」と答える。いいねー、こういう大人の駆け引きみたいなの大好き(^^♪ レイアが実はルークの双子の妹だったとか、ちょっとそれは無理があるだろうみたいな展開もあり(だって似てないにもほどがある)、ハン・ソロの船が実は賭けに勝った戦利品だったとか、裏切るのか味方になるのかはっきりしろよ、みたいなランド・カルリシアンが出てきたりと場面は二転三転して忙しいことこの上ない。 そして、物語の大団円。 ルークは父親であるダース・ベイダーと戦わなくてはなりません。 ベイダー卿と戦いながら、ジェダイの騎士として正しい道を見つけていくルークに対し、ベイダー卿も少しずつ肉親としての絆を思い出してきます。 ルークが皇帝に嬲り殺されそうになり、あわやというところでベイダー卿が皇帝を命を賭して妨害。皇帝はほんとに死んだのか?ジェダイの騎士と違ってフォースに守られてるとかないから、また姿現したりとかないのか?ちょっと不安…(^_^;) 虫の息のベイダー卿がルークと肉眼での最後を望みます。 あんな顔だったけど…やっぱり泣きましたよ。って言うか、もっとグロテスクになっちゃってるのを想像してたので、拍子抜けしたってのもあるんですが。 でも、そんなのを抜きにしてもやっぱり泣けた。確実に死ぬってわかってて、マスク越しじゃない「自分の目」で息子の成長した姿を見たいっていう最後の望みの中に父親としての、そして気高きジェダイマスターとしての威厳を取り戻したベイダー卿。涙、涙…(T_T) ラストでイウォークたちと戦勝会をやってる中で、オビ・ワン・ケノービや父親である本来の姿を取り戻したアナキン、そしてヨーダがフォースの光に包まれて姿を見せる。 これはねえ…なかったほうがよかったんじゃない?なくても全然支障はなかったと思うんですが? 実はEP1,2,3が出てからのDVDを観てなくて調べ直したんですが…このラストシーンでアナキンがヘイデンに差し返られてるってマジですか? それって有り得ないでしょう〜。ルーク、見たってわからんでしょう、若かりし頃の父親の姿なんて知らないんだからさ。いくらなんでも無理がある。 だからラストの姿見せシーン無しにしとけばよかったんだよ、ねえ。 ファンとしては全9部作品って言うのを信じたかったし、できたらすごいなとは思っていたけど、この当時のSFX技術を考えたら、ジョージ・ルーカスはやっぱりここでやめとこうと思っちゃったんだろうな。 1997年の特別編を観たときに、その技術の進歩にびっくりした記憶がある。 リプリントだけでもすごいと思えたのに、新たに加えられたシーンとか観たらその編集技術にぶったまげた。 特別編、確かにすごいし最高だと思う。今(2007年現在)の技術で作り直したらどれほどのものができていたのかと思うと、ルーカスの発想の素晴らしさに畏敬の念を抱かざるを得ませんね。 |
スターウォーズ エピソード5 帝国の逆襲1980年公開 1997年(特別編) 帰ってきたスターウォーズ。 いろいろと、そりゃもういろいろと大変な内容になってます(笑) あちこちで揉めたり捕まったり、死にそうになったり。 このエピソードでは、ルークのジェダイの騎士としての成長過程が描かれます。 しかしね…一作目の直後、交通事故で顔面を整形するほどの怪我を負ったとかで、確かに変な皺が顔に出るんですよ。 気にせず見てる分には整形したなんてことは忘れていられるんですが、ちょっとした表情のとき(特に笑ったときとか、しかめ面したときとか)に「うわ、なんだこの顔」(<ひでぇ)って思うほど、顔が皺だらけに(^_^;) やはり表面はどうにかなっても、筋肉がおかしくなっちゃったんでしょうね。…可愛かったルークがいきなりじじいになってしまったショックは隠せません。 まあ、内容には関係ないから我慢するとして、この作品の中で一番の見所はやはりラストでしょう。 ルークがダースベイダーと生死を賭けた戦いをしているときに、ちょっとした油断でルークの手首が切り飛ばされる…これにはビビりましたねぇ。 今思えば、これってR指定になるんじゃないの?(^_^;)それともこの程度どうってことないの?血が出ないから?それもどーなの? そして、衝撃の真実がっ!…「わたしがお前の父親だ」 これはびっくりだー。観ているうちになんとなく勘付いてはいたけど、やっぱりこのひと言を言われた日にゃぁ、ルークじゃないけど「嘘だああぁっ!」と叫びたくもなろうというもの。 そして、フォースのダークサイドがいかに脅威であるかというのが、ルークにも身をもって実感できちゃうわけですね。 そんなルークの戦いの一方では、ハン・ソロがレイアと一緒にジャバ・ザ・ハットに捕まってコールドスリープに…。 カーボナイトされたハン・ソロのちょっと間抜けな顔が、あんまり同情できなかったのも懐かしい思い出(笑) でもって、結局次も観なきゃ収まらないんじゃないかという、ファン泣かせというか商戦丸出しのやり方にちょっと怒りを覚えたり…どうせ観るからいいんだけどさ、と開き直ったのも事実(笑) |
スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望1978年公開 1997年(特別編) やはりSFの金字塔と言えばこれでしょう。 テレビでさんざんトレーラーを見せられ、情報番組で内容をバラされ、おかげで公開当時はもうすっかり劇場で観る気が失せてしまったこの映画(^_^;) まあ、当時は公開してからさほど期間をあけずにテレビでも放映してくれたので、新鮮味を失わず楽しむことが出来ました。 記念すべき初放映のときの吹き替えは驚くなかれ、ルーク=渡辺徹、レイア=大場久美子、ハン・ソロ=松崎しげる…吹き替えに人気アイドルを使うという冒険の走りだったのかなと。松崎しげるがアイドルだったかと言えば疑問はかなりありますがね(^_^;) でも、この中では一番さまになってましたよ。誰がひどいって久美子さん。ただでさえ大根と言われていた彼女に、この大作のしかも重要人物をあてさせるのは暴挙に等しいと。観ていて耐え難いものがあったのを覚えてます。 そのせいか、二回目以降の放映ではちゃんとプロの声優さんがあててくれましたね。やれやれだ(笑) まあそれはさて置き。 内容はほんとにもう、全編通してワクワクドキドキしっぱなし。 アクション有りラブロマンス有り、涙有りユーモア有りで、あっという間にラストまで引っ張っていかれます。 ルークの真っ直ぐさ、レイアの気の強いお姫様っぷり、ハン・ソロの無頼漢ぶりがそれはもう小気味のいいほど。 当時の技術の最高峰を極めたSFXがこれでもかと発揮され、見たこともない宇宙やエイリアンがわんさか登場する不思議な世界。 何に感動したかって、やはり音楽ですよっ!もう最高傑作と言ってもいいんじゃないかと思えるほど、ジョン・ウィリアムスの音楽は感動的でした。 今でも、最初の「ジャンっ♪」の一発で涙出てきます。あれほど壮大でドラマティックで耳に残る音楽を作り出してくれたジョン・ウィリアムスを尊敬します、ほんとに。 さらにオープニングのプロローグの文字が手前から奥へと流れていく演出にまず感動し、帝国軍の母艦が画面に入ってくるその圧倒的な迫力に感動し、そこからはもう雪崩のごとく次々と展開されるストーリーに心の中で拍手しっぱなし(笑)まさにSF版冒険活劇です。 荒くれな乱暴者に気の強いお姫様が、始めは反感と嫌悪感を持っていて、やがて自分の知らない世界を体験し、その中で自由に生きる無頼漢に惹かれていく…こんな今ではありがちなシチュエーションも当時はとても新鮮で、ワルに惹かれる女心の機微をニヤニヤしながら観ていた記憶があります。 レイアが最後「愛してる」と告げた言葉に対してハン・ソロが「知ってたさ」って答える。このへんの二人の結びつきが物凄く好き(^^♪ SFファンでよかったなーと、つくづく思えた一作です。 |
ダーク・クリスタル1983年公開 これまた古い映画です(^_^;) ファンタジーにおけるわたしの原点…かな。 セサミストリートで有名なジム・ヘンソンとフランク・オズが作り上げた幻想的なファンタジーの世界は、当時としては革命的な映像を作り上げてくれました。 公開当時「人間は一切出てこない」と言われていて、ロングの撮影で「そりゃムリだろう」と思ったものですが、今回メイキングを観て、やっぱり人間が演じていた部分も結構あったんじゃないかーと(笑) それでも、極力マペットを使うことで世界観を壊さないようにしていた努力は素晴らしいです。 想像上の生き物が、しかもマペットがこんなにも生き生きと動くものなのかと、今観ても感動します。 今ならCGでどうにかしてしまうだろう生物たちをここまでリアルに再現できたのは、やはり二人のそれまでの実績と実力の賜物でしょうね。 善と悪の象徴的な生物の造形。そしてそのふたつを繋ぐ小さくてか弱い生き物。 ファンタジーにありがちな、悪を倒し本来の正しい世界を取り戻すというテーマは、ひとつ間違うととても陳腐なものになってしまうのだけど、それを補って余りあるキャラクターの存在感はとても大きいです。 当時観た字幕とはだいぶ変更されていて、頭の中で記憶を元に変換したりしたけれど、それでも何度観ても映像の素晴らしさには圧倒されます。 主人公が旅をしていく間に目にする壮大な景色は、彼にとってはまさに新しい未知の世界。 見たことのない不思議な植物や動物たちが棲息する、ちょっと不気味な森。そこで出会う、絶滅したと思われていた同じ種族の生き残りである少女との出遭い。ありがちなテーマをキャラクターの魅力で乗り切ってしまうデザイナーの手腕に惚れ惚れします。 そしてわたしにとって何が一番かと言うと、音楽です。 この映画で流れるテーマ曲の素晴らしさは、何十年経っても頭から離れたことはありませんでした。 物語を印象付ける厳かなオープニングに続く壮大で開放的なメロディーは、いつ聴いても胸に高揚感を与えてくれます。 映画と共にその音楽の存在の重要性を印象付けてくれた素晴らしい作品です。 |
未知との遭遇1977年公開 実に30年も前の映画という驚き。このコーナーを見ている人の中には生まれてなかった人もたくさんいるんだろうな(^_^;) なんていうか、わたしのSFにおける原点みたいなもののひとつ。 それまでの「宇宙人は恐ろしい」「宇宙からの侵略者」みたいな価値観を根底から覆してくれたまさにドリームな映画。 満艦飾のマザーシップには度肝抜かれたし、笑いすら出ちゃうんだけど、初めて劇場で観たときに山の麓からせり上がってきたときの、腹の底に響く轟音と劇場中がびりびりと震えた迫力を今でも思い出してぞくぞくします。 劇場公開の度に観に行って、やっぱりディレクターズカットは最高の出来だなあと感動したものです。 今ならもっとSFXが発達してるから、合成部分とか違和感なく作れるんだろうけど、当時の技術からしたら物凄い出来だったんじゃないでしょうか。 ミニチュアとか物凄い緻密に仕上げられてて、撮影技術以外の部分でもそのこだわりが窺えます。 内容は、とにかくある日突然UFOが地球に飛来してきて、彼ら独特の呼びかけに呼応したお互いにはなんの接点もない人々が、その集合地点へと集まっていくというお話。 過去に行方不明になった人たちや、バミューダトライアングル的な失踪の陰に、実は宇宙人によるアブダクションが関わっていたというオチもまずまず面白い。 主人公が、家庭を顧みなくなってまで自分の中に沸き上がってくる「何かの象徴」を形にしていく様は見ていて切なくて、でも実際にとりつかれたらどうなっちゃうんだろう…と考えてみたり。奥さんの至極現実的である意味まっとうな反応も納得できるし、やっぱり人間て自分が実際に見たり体験しないと信じない懐疑的な生き物なのだなあと思い知らされる。 そして、自分だったら選ばれるだろうか。選ばれたら何もかもを捨てて旅立つことが出来るだろうか…そんなことを考えてしまう作品でもありました。 わたしはきっと今の生活に未練たらたらだから、ここから離れることは出来ないかもしれない。 でも、一生に一度のチャンスだから、それに賭けてしまうかもしれない。 次に戻ってきたときには、自分が関わってきた人たちがすべていなくなってしまっていたとしても、自分が選ばれて呼ばれたとわかったら、千載一遇のチャンスを逃すのは愚かだなと。 子供の心を失わなかった主人公が、最後一番幸せそうに船に乗り込んでいくシーンが好きです。 どんなに大げさなUFOだろうと、その船がなんで下から上がってくるのかとか、細かいことを突っ込み始めたらキリがないんだけど、人間夢はいつまでも持っていなくちゃいけないな、と改めて感じた映画なのでした。 作ったスピルバーグも本来それが言いたかったんだと聞いたしね。彼自身子供の心を持った大人だし、それってとても素敵なことだと思います。 そしてやはり印象的なのが映画の中で一貫して使われる五つの音。 これって耳に残るんですよねー(笑)頭の中でずーっと鳴り続けていて、自分もこの音に呼ばれているんじゃないかと錯覚してしまうほど。 そうそう「X-Men 2」の中で、敵役であるストライカーがアルカリレイク地下の基地で、ドアロックのナンバーを解除したときこのメロディーが聞こえましたよ。 一瞬、聞き間違いかと思いましたが、何度観てもこのメロディーにしか聞こえない。監督、意識してましたかねぇ…(笑) |
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